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「俺は俺で、こうだ」という親を反面教師にして子どもが育つ、というのが
むしろまともなんです。よかれあしかれね。
よく「親や教師が怒らない」というけれど、
教師も同じことでしょう。怒る、怒らないというのは
単にそういうことに過ぎない。
「俺はこれでここまで来たんだ、それで何が悪い」というのが
唯一年を経てきた人が言う権利をもつ言葉なんですよ。
なのに、それができない。
それは実は、日本の歴史そのものなんです。
明治になって、江戸を改める。福沢諭吉じゃないけど、「封建制度は親の仇」という。
そうしたら福沢の息子はどうすればいいのか。
もはや仇にすべき、親が仇にすることを生きがいとしてきた封建制度はないわけでしょう。
戦後もそうでしょう、戦前を改める。
そうしたら親の方が何も言えなくなってしまうんです。
*殺人者の年代、本当は20代全般が多いはずなのに |
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「殺人」を犯す人の人口に対する比率を年代別に分けると、
先進国といわれる国ではどこでも20代の前半が多いんですね、
いつの統計でも、それが一番多いんです。
それに対して、動物行動学での仮説があって、
その年代というのは性的成熟があって、動物でいえば縄張りが決まってきて、
縄張り争い、というのは動物ではしょっちゅうあることで、
それが人の殺人の背景にあるんじゃないか、と。
交通事故も、25歳までが多くて、保険が高いでしょう。
つまり、若気のいたりで人を殺しちゃうということ、
「キレる」というのは、どこでもあり得ることなわけです。
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