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私の母なんか「わがままが着物を着て歩いている」って言われてましたけど。
「母親から逃げる」というのは、また難しいことですね。
ある種の通過儀礼として、制度として作るということも必要かもしれないですね、
海外青年協力隊とかね、奉仕活動1年とか、兵役とか、
どこの社会にもあった。田舎から都会の大学に出てくるというのもよかったんですね。
まずカレーの作り方、飯の心配から始めていくわけですね。
*母親に持って欲しい“子どもは社会共通の持ち物”意識
お母さんが、子どもというのは<社会共通の持ち物>であるという意識を
もうちょっと持つことです。
それから社会全体も、母親に全部の責任を負わせるっていうことを
してはいけないのだと認識しなおす必要がある。
両方ですよ。これは両者関係だから、なかなか難しいんです。
それが具体的に託児所の問題、保育所の問題、つまり
社会が子どもの面倒をどの程度見るかということに翻訳されてきている。
それをお金で片付けよう、というのは二次的な問題であって、
まず根本に、子どもは次代を背負っていくんだから、
全員の責任がそこにあるんだ、ということを
お互いに了解に達する必要がある。
*都市化すれば少子化は必然 |
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母親だけの問題じゃない、俺にあずけな、ってことでしょう。
そうなれば密着型の母子関係は変えざるを得ないでしょう。
変えなくちゃいけないんだ、そういうことはね。
それはどこの文化でもある、難しいものだけどね。
ヨーロッパではイタリア人が有名でしょう。
「マンマミーア(僕のお母さん)」って。
アメリカに移民して恋人ができると田舎のおふくろに電話する、
という映画があったでしょう。
イタリア人はアメリカでもいつまでも独身、という結果になっちゃうんだ(笑)。
男の子が5人も6人もいればそうはいってられない。
今、子どもの数が少なくなって、長男、長女が増えちゃっているというのも
世界中、同じ傾向です。都市化すればそうなる。
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