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オーストラリア マルチカルチャーな子育て(全4回更新)

Episode2 オーストラリアの出産事情

~仮死状態で産まれた娘。第2子出産が人生最大の試練に~

帝王切開後の自然分娩

長男が2歳をすぎた頃、望んだタイミングで長女を妊娠しました。妊娠27週目で遺伝による妊娠糖尿病が診断されたものの、食事療法と運動で数値は安定。一人目は帝王切開でしたが、二人目は予定日まで待ち自然分娩を希望しました。もちろん子宮破裂などのリスクはありますが、産後の回復が早いこと、上の子がいることなどを含めて、メリットもあるということで、病院によっては帝王切開後の自然分娩をサポートしてくれるのです。

仮死状態で産まれた娘

集中治療室でたくさんのモニターをつけて眠り続ける娘。

集中治療室でたくさんのモニターをつけて眠り続ける娘。

予定日の4日前に陣痛がきてから、一晩家で陣痛に耐えた後、朝病院に向かいました。 18時間の陣痛の後、医師の指で人工破水。そこからはまた一人目と同じ地獄絵図が繰り広げられました。それでもなかなかお産が進まないので、体力温存にと麻酔をお願いしたのですが、麻酔をした直後から陣痛とはまた違った妙な痛みを下腹部に感じ始めたのです。まるで前回の帝王切開の傷が破裂しそうな痛み。医師に訴えると、緊急でさまざまな検査を始めました。同時に娘の心音が下がってきていることも判明。しかし検査も手術の準備もスムーズに進まず、結局2時間弱して手術が始まりました。

前回は手術開始後20分で産まれたので、今か今かと産声を待つ私と夫。助産師の16時48分、という言葉だけが手術室に響き渡りました。 子宮内でストレスを受けた娘は仮死状態でした。そこから20分間医療チームによるケアが行われ、やっと産声を聞いた時は安心で涙があふれてきました。

集中治療室でたくさんのモニターをつけて眠り続ける娘。

集中治療室でたくさんのモニターをつけて眠り続ける娘。

衝撃の事実

生後1日目。娘の容態も安定し、授乳後にぐっすり。

生後1日目。娘の容態も安定し、授乳後にぐっすり。

手術台で幸せな気分に浸っていたのもつかの間。今度は執刀医から衝撃的な事実を伝えられました。緊急事態で焦っていたため、子宮と間違えて膀胱を切ってしまい、そこを通して娘を取り出した。これから膀胱を複合する手術を行うので、大きな病院から専門医を呼び寄せる。とのこと。娘の仮死状態の事で十分はらはらどきどきした後で、耳を疑う事実でした。でもその瞬間出てきた言葉は、「ありがとうございます。娘をちゃんと取り出してくれて、ありがとうございます」。自分の体はどうなっても、娘が無事でいてくれればそれでいい、精神的にぎりぎりな状態で、ただただそう思っていたのを鮮明に覚えています。

執刀医は引きつった顔で、私のミスです、本当に申し訳ない。と誤っていました。当日の責任者からも謝罪が。全面的に否を認める姿勢に、日本の医療との違いを感じ、驚いたのも事実です。

誰でもミスはする、娘が助かったのだから自分の膀胱くらいなんて事ない、そう頭では考えながらも、手術台の上でお腹を開いたまま膀胱の専門医を待つ数時間、体が恐怖で震えてとまらず、永遠のように感じました。

生後1日目。娘の容態も安定し、授乳後にぐっすり。

生後1日目。娘の容態も安定し、授乳後にぐっすり。

終わらぬ悪夢

息子と娘のご対面後。息子がぐっとお兄ちゃんになったように感じました。

息子と娘のご対面後。息子がぐっとお兄ちゃんになったように感じました。


12日間の入院中、初節句を迎えてから退院しました。

12日間の入院中、初節句を迎えてから退院しました。。

術後3日目の夜、それまで順調に授乳もできていた娘の様子に変化がみられました。授乳の時間に起こしても起きず、ぐたっとしているのです。授乳ができないので、搾乳したおっぱいをチューブで鼻から注入。保育器に入れられ監視されることになりました。翌朝高熱が出て、その直後軽い痙攣が見られたので、髄膜炎や脳の異常の可能性があると大きな病院への転院を勧められました。仮死状態を乗り越え、何も問題なく昨日まで過ごしていたのに、なぜ?なぜ?なぜ私の娘なの?答えのない疑問と不安と悲しみがこれ以上ないほどの愛おしさと入り交じって胸を締め付けました。急遽母子ともに大きな病院へ転送。新生児集中治療室でマンツーマンのケアを受けながら、たくさんの検査を受けました。

結果、感染症などはなし。しかしMRIの結果、脳の一部に出産時の酸素不足による損傷が見られる、と医師の報告を受けました。将来、歩行や学習能力に障害がでるかもしれない、そう聞かされたときはもう既に、母親としての覚悟のようなものができていました。

そして、その日から娘の障害の可能性を見込んだ二人の育児が始まったのです。

息子と娘のご対面後。息子がぐっとお兄ちゃんになったように感じました。

息子と娘のご対面後。息子がぐっとお兄ちゃんになったように感じました。


12日間の入院中、初節句を迎えてから退院しました。

12日間の入院中、初節句を迎えてから退院しました。

2014年3月20日更新

プロフィール

マーシャン祥子

1979年生まれ。オーストラリア・マンリー在住。オーストラリア歴6年。家族構成/夫(フランス人)、長男2010年生まれ、長女2013年生まれ。

大学で管理栄養士を専攻して資格を取得後、東京の料理教室やレストランで働く。2005年フランス料理を学ぶ+サーフィンを満喫するために渡仏。料理とサーフィン修行の傍ら寿司のケータリングを行う。その後ドミニカ共和国でメニュー開発の仕事をしつつラテンダンスを学ぶ。モロッコでのスパイスの研究をするために半年間滞在し、同時にバンを改造して移動式寿司レストランを作る。旅をしながら料理を通じて各国で人と文化との触れ合いを楽しむ。2007年モロッコから渡豪。夫と出会い電撃結婚。2008年よりシドニーをベースとして出張料理と料理教室のDining Storyを展開。その傍らライターとして食、育児、教育、環境などの分野の情報をシドニーから発信している。

■Dining Story:http://www.diningstory.com.au/

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