海の向こうを見渡してみれば、こんなに違う!妊娠、出産、育児事情。
各国で暮らす日本人ママのレポート!!
オーストラリア マルチカルチャーな子育て(全4回更新)
Episode1 オーストラリアの出産事情
~夢の水中出産!!のはずが…~
初めまして、シドニーの北部のビーチタウン・マンリー在住のマーシャン祥子です。マンリーはあの有名なシドニーのオペラハウスから高速フェリーで15分という都会にありながらも、真っ白なビーチと青い海と空が目を見張るほど美しい所です。
大学を出てから料理教室や東京のレストランで働いた後、包丁とボディボードを抱えて世界に飛び出したのは2005年の冬でした。フランス、ドミニカ共和国、モロッコなど、料理の仕事をしながらサーフィンに没頭し、人と文化と触れ合いながら世界を転々としていました。6年前に渡豪し、シドニーで夫と運命的な出会いを果たし、間もなく結婚。まさかオーストラリアで6年も暮らす事になるとは思ってもみなかったのですが、今ではこの国の居心地の良さの虜になっています。
2008年より、出張料理と料理教室のDining Storyを展開し、その合間にライターとして食、育児、教育、環境などの分野でシドニーから情報を発信しています。
そして現在は2010年生まれの長男と2013年生まれの長女の育児にも奮闘中。長女は出産にまつわる事故で軽い脳性麻痺を持っていますが、周囲の人々や国のサポートに支えてもらいながら笑顔の絶えない毎日です。
潮風そよぐマンリーより、オーストラリアの出産・子育て事情を4回に渡ってお届けしたいと思います。
バースプランは完璧!
出産直前までスイミングをして夢の水中出産に備えました。
日本では驚かれるでしょうが、妊娠中の健診では一度も体重をはかる事はありませんでした。それでも毎日ウォーキングや水泳、ヨガに励んだせいか、体重もあまり増えず、妊娠後期もかなりアクティブに過ごしていました。誰もが私の水中安産を疑う事はなく、私自身完璧なイメージトレーニングができていたのです。
出産直前までスイミングをして夢の水中出産に備えました。
出産の理想と現実
生後2日目の息子。こちらでは髪の毛たくさん生えてるのは珍しいので病院のスタッフも驚いていました。
出産12時間後に病室にて。帝王切開でも動いた方が良いとシャワーを浴びてリフレッシュした後です。 2014年3月8日更新
するとその帰り道、見事に陣痛が始まったではないですか。陣痛が2、3分間隔にならないとこちらの病院は受け付けてくれません。夜通しヨガのポーズと呼吸法で5分間隔の陣痛に絶え、翌朝病院へ。病院につく頃には待合室で完全破水し、1、2分間隔の強烈な陣痛と嘔吐、下痢を繰り返し、正にそれは地獄絵図でした。アロマとかキャンドルなんでどうでもいい!痛み止めをくれー!と、バースプランはどこへやら。こんなに辛いんだからもう赤ちゃんは出てくるに違いないと遠のきそうな意識の中で思っていた私のもとへ担当医がやってきました。
子宮口をチェックすると、陣痛が始まって15時間もたっているのに、たったの2センチしか開いてないと言うのです!
できる限り自然に水中でと完璧なバースプランを練っていた私も、気が遠くなり麻酔をお願いしました。無痛分娩を始めからプランしなくても、陣痛が長引く場合麻酔を打ってもらうケースはこちらではよくみられます。
問題は麻酔をリクエストしてから実際に打ってもらうまで4時間もかかるという事。地獄絵図の中、複数の病院を掛け持ちする麻酔医が私のいる病院に来るのをひたすら待ちました。麻酔をうってから陣痛促進剤をうち、自然分娩を促すも、それでも子宮口が開きません。結局28時間の陣痛の後、赤ちゃんの心音が下がってきているということで、緊急帝王切開を行いました。
産声を聞いた時はもうバースプランのことなんてどこかへすっ飛んでしまい、元気に産まれてきてくれればなんだっていい!と心の底から幸せと安堵感と達成感を感じました。
出産後バースプランのなにひとつ叶わなかったと笑いながら担当医に話すと、「子供が産まれたその瞬間から、自分の思い通りに行く事なんてほとんどなくなるのよ。」と言われたことに、今では妙に納得できるのです。(笑)
生後2日目の息子。こちらでは髪の毛たくさん生えてるのは珍しいので病院のスタッフも驚いていました。
出産12時間後に病室にて。帝王切開でも動いた方が良いとシャワーを浴びてリフレッシュした後です。 2014年3月8日更新
2014年3月7日更新
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マーシャン祥子
1979年生まれ。オーストラリア・マンリー在住。オーストラリア歴6年。家族構成/夫(フランス人)、長男2010年生まれ、長女2013年生まれ。
大学で管理栄養士を専攻して資格を取得後、東京の料理教室やレストランで働く。2005年フランス料理を学ぶ+サーフィンを満喫するために渡仏。料理とサーフィン修行の傍ら寿司のケータリングを行う。その後ドミニカ共和国でメニュー開発の仕事をしつつラテンダンスを学ぶ。モロッコでのスパイスの研究をするために半年間滞在し、同時にバンを改造して移動式寿司レストランを作る。旅をしながら料理を通じて各国で人と文化との触れ合いを楽しむ。2007年モロッコから渡豪。夫と出会い電撃結婚。2008年よりシドニーをベースとして出張料理と料理教室のDining Storyを展開。その傍らライターとして食、育児、教育、環境などの分野の情報をシドニーから発信している。
■Dining Story:http://www.diningstory.com.au/