Home
So Da Tsu com

Study + Senses
しつけと虐待について語ろう〜いま、私たちにできること〜 ご意見・ご感想はこちら
マイナスの感情にフタをしない。ありのままの自分を認めよう
虐待事件で、責任を親にだけなすりつけるような冷たいまなざしが社会にはあります。今年、大阪で起きた2人の幼い子どもの虐待事件の報道もしかりです。幼い子どもを放っておくなんて! 我が子を愛していなかったの! と。しかし、あのお母さんも最初は子育てブログをつけて、「子育てを一生懸命やらなくちゃ」と頑張っていました。しかし、お母さん自身が幼い頃、人に預けられていて、母性に包まれて育っていないのです。

母性は本能としてもともと備わっているのではありません。子どもの頃に、お母さんから慈しまれ、愛されているメッセージを受けることによって培われていくのです。あのお母さんはそれを知らない。だから、我が子に「自分のようにさせまい」と、子育てに一生懸命になっていたのです。我慢して、無理をして、いい母親になろうとしていたのです。

しかし、二度目の離婚をきっかけに、その努力が“破綻”してしまいます。彼女は、最初から子育てに無理してはいけないお母さんだった――。「苦しい、育て方がわからない」と言えばよかったのです。

人間には感情が備わっています。喜怒哀楽といわれるように、感情にはプラスとマイナスの感情があります。その両方があってこそ統合されていくのです。

しかし、大人は一般にプラスの感情を好みます。そしてマイナスの感情は遠ざけます。よくない、ダメだ、とフタをしてしまう。重症な場合は、マイナスの感情を“否認”する。「マイナスの感情は、自分にはない」と、本人にも気づかない状態です。虐待するお母さんたちの共通点はこの“否認”という感情が強く働くところです。

「子どもが言うことをきかなくて、大変で、ときには疎ましいと思う気持ちがある。夜泣きがひどくて泣き止んでくれればいいのに、この子なんていなければいいのに‥‥という気持ちがある」。なのに、そんなことまったく思っていない、と否認するのです。

すると、そのフタをしたマイナスの感情の器は知らぬ間にどんどん膨れ上がっていきます。やがて、フタを閉められないくらいいっぱいになって、いっきにこぼれ出てきます。これが“破綻”なのです。先にお話した「まじめとふまじめ」の構造と似ていると気づきませんか?

自分が小さい頃、夜泣きをしたときに抱っこしてあやしてもらった経験を持つお母さんは、そのことを今は覚えていなくても、泣くという刺激にプラスの感情、“快”が伴います。しかし、小さいときに泣くと叩かれたり、布団で押さえつけられたりすると、泣くという刺激に“不快”が伴うんです。

その子どもがやがて親になります。我が子が泣いたときに、“快”を経験したお母さんは自然に抱っこしてよしよしとあやします。“不快”を経験したお母さんも抱っこしようとしますが、とても無理をしています。「泣いた子どもを抱っこしないお母さんは失格だ」といった気持ちがあるからです。でも、子どもは簡単には泣きやみませんから、だんだん「どうしてこんなにやっているのに、泣き止まないの!」という感情が起きます。それがエスカレートしていって、泣いた子どもを怒鳴ったり、叩いたりといった罰を与えて虐待をしてしまうのです。

まさに負のスパイラル(渦巻き)です。これを断ち切るためには、自分の感情を否認しないことです。ありのままを認めることなのです。

不快な感情を持ったっていいのです。我が子を可愛くないと思うこともあるでしょう。それは「異常」でもなければ「母親失格」でもありません。不快感情が伴う人は、無理してあやさなくていいんです。無理して“いいお母さん”にならなくていいのです。そのまま、ありのままでいいんですよ。

前のページへ 目次に戻る 次のページへ
 
Home
(c) 2000-2010 So Da Tsu com All rights reserved.
長谷川先生へのご意見・ご感想はこちら ご意見・ご感想はこちら 長谷川博一公式サイト