Newsピックアップ 妊娠・子育て日記 妊娠・育児大百科 365日の家族食レシピ
So Da Tsu com
廣戸聡一スポーツから導きだされた、新・子育て論 廣戸聡一
 
≪前のページへ 1 2 3 4 次のページへ≫ Soichi Hiroto
 
昔は自然の中で鍛えられた、体幹。
体幹には、感じ取るセンサーがある。



体幹には、「感じ取る」センサーの機能があります。後ろからボールが飛んでくるのを、ぱっと見て落ちる先を予測して走っていくとき、胸の部分でボールを感じているんです。この機能が、人間はすぐれているんですね。

この体幹をどうやって鍛えていくか。

かつては、木登りをしたり、山や丘の斜面をよじ登ったり、「こんなところいったい、どうやってしがみついたらいいんだろう」というようなところがたくさんあった。そういうところで試行錯誤するうちに、自然と鍛えられたんです。

しかし、今は、そういう環境が減ってきてしまった。あっても危ないといって、遊ばせなくなってしまった。

ですから、意識して、子ども時代にちゃんと覚えさせてあげないといけない。

たとえば、ドッジボールなんかいいですね。大きなボールは、いつも自分の体のそばに持って、体全体を動かしながら投げる。つまり体幹を使う。小さいボールは、片手で持ってひょいと投げられるから、つい体の正面から外して投げてしまう。その結果、肩を壊すことがあるんです。


立体的な感覚を育てる体育。
上手下手ではなく、まんべんなくが大事。



自分の肉体の発達のプロセス、脳から神経回路が出来ていくプロセスのなかで、立体的な動き、立体的な視野というのが、導き出されなければいけません。

私は、よくスタッフに、唐突に問題を出します。たとえば、「丸く見えて、三角に見える、そして四角に見えるもの、なんでしょう?」

仕事を終えて、着替えなんかしているときなので、みんな「また始まったよ…答え終わるまで帰れない」って嘆いてますけど(笑)。

わかりました? 答えは、はみがきのラミネートチューブ。逆さにして立つ形のものです。フタ側から見たら丸、正面から見たら四角で、縦から見たら三角。

こうした立体的な感覚は、体にとって大切なんです。ごろごろ転がる立体的な動きも、いつも自分の正面でしかできないと、相手がぱっと動いたときに対応できなくなってしまう。

ですから、子どもはいろんなシチュエーションでトレーニングさせるのがいい。早くから、「これだけ」と絞り込んではいけないと思うんです。学校の体育で、苦手だろうが得意だろうが、まんべんなくやらせるのは正しい、と僕は思っています。下手でもいい。優劣の問題ではないのです。

いろいろな場面で、体の使い方を覚えてうまくなっていけば、将来、どんなスポーツにも順応できるんです。


厳しいルールやしつけで軸をつくり、
「いい姿勢」を作ることも必要。



いつもぐにゃぐにゃしていた子どもも、体にきちんと「軸」を作れるようになってくると、姿勢を保つことができるようになります、自分の軸、自分の体が安定する軸が見つかるわけですね。

「姿勢」という言葉も難しくて、まん中に重心を置いているのがいい姿勢だ、と思われるかもしれませんが、どまん中に重心を置いてしまったら、軸は作れません。

どまん中に重心があるときというのは、大の字に寝ているときです。首のつけ根や足底に、重心を入れて寝る人は、いません。どまん中に重心を乗せて、どこにも軸を作らないときに、一番脳が休めるのです。

この大の字の状態を、そのまま起こして座らせると、一見いい姿勢のように思えますが、軸が作られていない。だから、そこからとっさに動くことができない。今の子どもたちに活力がないイメージがあるのは、大人たちがそういう姿勢を作ってしまったからです。

姿勢を保つときには、体に「軸」を作らせる、「構えさせる」ことが必要なんです。たとえば、何か考えるときに腕を組むのは、脳がフレームを作って体を安定させたいと思うからです。

彫刻の「考える人」のポーズは、フレームを作って脳を安定させた状態で「考えている」ことが表現されている。このポーズにはちゃんと軸があって、この手にバットを持たせると「あ、打つんだな」という形になります。

つまり、「じっとしてなさい」というのは、「集中して軸を作れ」ということであって、「体を固めていろ」ということではないんですね。

本当の意味で、いい姿勢を保つこと、軸を作って保持することを学ばなければいけません。そのためには全身の強さが必要なのです。厳しいルールやしつけで縛られて、みんなやっているんだから、いやいやでもやる。それが時には必要だと思います。


「四の五のいわずにやれ!」
理念をもって、甘えに対抗する。



「じっとしてなさい」と大人に言われて、「何でですかー」って言い返すのは、精神的な甘えです。説明できるできないの問題ではないんです。脳が発達していくひとつの段階として、体に覚えさせるためには、黙って従わなきゃいけないことはいっぱいあるんです。

子どもにそう言われて答えられないからといって、大人がひるんではいけない。昔は、「やかましい、四の五の言わないで、やれって言われたらやるんだ」でよかったんです。それは親や大人の傲慢さではない、「理念」なんです。

「じゃあ、先生できんのかよ」と言われたって、「先生はできなくたっていいんだ、お前たちがやるんだ。そういうものなんだ」と言って、きちんとやらせることが必要なんです。
それを、「いや、先生もできないから、できる範囲でやろうか」といっては、理念もなにもない。今、そういうことが多くなっているから、子どもたちが成長するチャンスを失っているのだと思います。

料理の世界だってそうです。一流の日本料理の世界では、皿洗いや野菜の皮むきなどを何年もさせられます。それは一見、実際に料理を作り、皿の上に盛る人たちよりも効率が悪く見えます。しかし、そうした修行をしっかりした人こそ、独立したあとに、あっというまに能力を伸ばし、超一流の料理人になるのです。

皿を洗いながら、「今の時期はこの皿を使うのか」、野菜を洗うたびに「今はこの野菜が旬で、こうするとうまくむけるのか」と身をもって知る。頭だけで何万時間、学習するより、圧倒的に効率がいいのです。

「皿洗いするために料理人になったのではない」と思ったが最後、超一流にはなれません。下積みこそが、もっとも重要で、自分の能力を効率的に伸ばす道なのです。それが伝統の示唆するところでもあるのです。

私たち大人は、効率を考えるあまり、子どもたちから体の使い方の自由を奪って、動作ができない子たちをいっぱい作っているのかもしれない。自分の好きな動作はしていい。好きなように動いていい。でもそれは何をしているかというと、「自分の体をちゃんとさせるための位置」や「自分の軸」を見つけるため。その理念がなくてはダメなのです。

赤ちゃん時代は、自然の発達のプロセスにしたがっていればいいけれど、ある時期になったら、姿勢が悪い子どもに、「ちゃんとしなさい」「ちゃんと座りなさい」というのは、正しいことなのです。

そこを、「ぐだぐだしてていいよ」といっていると、ずっとぐだぐだになります。大きくなって「ピシッとしなさい」と言われたってできません。「ピシッとって何ですか?」みたいな欠落した部分が出来てしまう。重力に負けて、コンビニの前でぐだーっと座ったり、だらしない姿勢でゲームをするようになります。ですから「やるべきことはやらせる」という理念を持って、実際にやらせることが重要なんです。
≪前のページへ 1 2 3 4 次のページへ≫ Soichi Hiroto
Home



(c) 2000-2010 So Da Tsu com All rights reserved.